ぐだぐだ

本屋・古本屋が好き。

本日は家族で外食をした。父が僕が家を出るまでに、やりたかったそうだ。父のオナニーに付き合うのは非常に嫌だった。家族で外食をすると、我が家の異常性が際立つようで、ソワソワする。父、母、妹それぞれ、普通ではない言動をそれぞれするので、心が休まらない。それぞれが独自路線なので、会話も弾むわけがない。「何か会話せな…」と一番気を使って、疲れてしまった。

 

父よ、お前のオナニー何だから、最後まで面倒みろよ…と思ってしまう。

 

この度の転勤で、やっと実家を(合法的に)出られるので、もう二度と戻らなくて良いように、できるだけ書籍類を運び出したい。

 

【ここ最近について】

ここの所、自分の努力の続かなさに腐っています。

中学生位から、「できない事が出来るようになる」事が全く無い気がします。部活、勉強、仕事なんにしろ、周囲の波に乗って与えられたものをこなす事はやってきました。しかし、それ以上の努力を全くしていませんでした。そのツケが今になって回ってきた気がします。仕事が全く出来るようになりません。

自分にずっと自身がないのもその為かもしれません。本当にこの1年が勝負だと思っています。

実家のせい、職場のせい、周りの人が…と文句ばかり言う人生は終わりにしよう。

 

【やりたいこと】

先日、岐阜駅の本の市に、遊びに行きました。たくさんの方がJINを販売されていて、とても楽しかったし、創作意欲が湧きました。来年の「円頓寺本のさんぽみち」には、自作のJINも販売したいな〜と思います。

 

何だか、じっとりと不安な気分が続いている。

このままこの会社に居て大丈夫なんやろか…、このまま生きていたら仕事を貰えなくなってしまわんやろか、自分が20数年生きてきて、得意なことってなんやろ…なんで頑張れやんのやろ…とか。

もし無職になってしまった場合、ニートの妹を見たり、働かない叔父の話を聞いていると、真面目を気取っている自分には耐えられない気がする。

それを防ぐ為には、何らかの強みを見つけないといけない。その事はわかっているんだけど、何を頑張ればよいのか…どうしたら継続できるのか、モヤモヤが続いている。

宮部みゆきを読んでいます。

名もなき毒」(宮部みゆき)を読んでいる。600ページほどの文庫で、そこそこに分厚い。杉村三郎が主人公で出てくる作品の、第二弾。一作目の「誰か」もかなり面白かったので期待していたが、思った通り面白かった。推理小説やミステリー(この2つの違いは厳密にはわからない。)と呼ばれるものは、事件の不可思議さが物語の中心になっていることが多いと思う。けれど、宮部作品は事件の前に人間の生き様があって、その人生のスパイスとして事件がある感じがする。そこが、宮部みゆき作品の凄さかなと思う。話の内容も、どんな人にもある弱い部分がキーポイントになっていて、本当に好きである。結末が楽しみだ。

 

4月1日に辞令があり、営業から事務の部署に部署移動した。この部署には先輩はおらず、直接40代の課長の元につくことになる。仕事内容もわからないことだらけ。うっかりミスのが多く、人と馴染むこともできない人間はどう生き延びたらいいんだ〜と爆発している。明日は月曜日。生き延びられるように頑張りましょう。

 

 

どこかで聞いたお話。「当たり前でない人生は、豊かなんです。優しく豊かでありなさい。したたかに長生きをして、世の中が変わるのを見届けなさい。」ええ言葉やなあと思う。同時に、今は当たり前の道から外れないために必死なので、ほんまかいなとも思う。

 

この数週間は、期末に向けて、追いこみが激しくなってきている。毎日今日の報告と明日の予定の相談を行うことがハードで仕方がない。かなり仕事のできる先輩もやめてぇなあと言っているので、このしんどさは本物なんだろう。この期末の追い込みと、ウクライナ問題が同時に起こったのは、不幸といかいいようがない。毎日大きく動く為替相場、米国の長期金利、株式相場。マイナスした客からの電話と見込み客からの「不安やからやめておくわ」の声。何やねんこれは。もとから仕事ができない私は自分の居場所どこやねん、となるような気持ち。

 

あと少し、毎日頑張って行きましょう。

アカデミー候補作を見に行く。

日記

3月末は職場の決算なので、追い込みが始まっている。肌にビリビリ感じるほど、空気が張り詰めている。そんななか、2月の営業日が少なくなってきているので、焦りながら営業している。

連休の初日は友人達と、濱口監督の「ドライブ・マイ・カー」を見に行く。アカデミー賞候補作にも選ばれているそう。名古屋にある少し小さめの劇場に行く。非常に良いサイズ感に感じた。3時間弱ある作品なので途中で飽きたら、きついなと思っていた。しかし、全く飽きさせることなく、一瞬でエンドロールまで持っていかれてしまった。

内容

舞台俳優であり演出家の家福は、愛する妻の音と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう――。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻の姿をオーディションで見つけるが…。喪失感と“打ち明けられることのなかった秘密”に苛まれてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。

面白かったポイントの1つ目は、映画の中でワーニャ伯父さん(演劇)が演じられていた所だ。フィクション(映画)の中にフィクション(演劇)があるという、二重構造が出来ていた。この構造の中で、演劇で演じられている感情が、主人公の実際の感情になっていたりした。演じるってなんだろう、という濱口監督からの問いかけなのかなと思った。

面白かったポイントのもう一つは、演劇の中で多言語が使われていた所だ。劇中では会話が、各々の言語で一方的に行われており、それでも会話が成り立っていた。不思議だった。言葉のそれ自体が大切なのではなく、その概念が大切であるということかなと感じた。

わかっちゃいたけど

日記

土曜日、転職相談に向う。担当の職員さんと一緒に職を探す。中々「これは良い」と思うような求人が見つからない。やっぱり難しいものだなと思う。その後、カナヤマ55にてつけ麺を食べる。いつもと変わらずに美味しい。ホッとする。

日曜日、午前中に溜まった衣類を洗濯する。わんさかわんさか洗濯機を回しながら昼食を準備する。昨日の残りのチリメンジャコと納豆のご飯。美味しい。食後、ニシヤマナガヤの私設図書館もんさんへ向う。いつも通り賑わっている。今回は「文章の書き方」(辰濃和男)を借りる。土山さんは「文章の書き方の技術もそうですが、感覚や感性の所が書いてあって面白いですよ」みたいなニュアンスのことを仰られた。どんなもんやと思って、読んでみるとその通りだった。テーマごとに見本の文章が引用されていて、読みやすく、山猫軒で一気に読んでしまった。

文章の書き方

キモの所は「いかに良い文章を書くかという議論は、いかによく生きるかという議論に重なる」だった。他人のカッコいいブックレビューや面白い日記を読んでいると、早くこんなものを書きたいなと思う。この本によると、文章はそんな一朝一夕には上手くならない。良い文章を書くには「伝えたい思いのあること相手の立場に立って書くこと」や「ものごとを具体的に、先入観を排して観察して文章にすること」と言った当たり前に感じることを守りながら、毎日書く練習をすること、などと書かれていた。

あーあっっ難しい。わかっていたけれど残念。簡単に面白い文章がかけるようになる訳はなく、そんなもんだよなと感じた。そんなこと言われても、こっちは今この瞬間から良くしていきたいんやみたいに感じた。でもとにかく、色んなものを見て、それを具体的に観察して、色々書いてみて、と動き出そう。明日は(今日は)月曜日。今週も頑張っていきましょう。