ぐだぐだ

本屋・古本屋が好き。

ハードル

日記

今日も疲れた一日だった。先輩方と上手くコミュニケーションが取れないことは毎度のことながら、今日は特にズレていた気がする。また、年に一度のレベルで雪が降っており、営業の足として使っている原付に乗れず、歩いて客のところを訪問することも疲れを増幅させていた。営業のネタが少しできた事は良かったこととしよう。

ところで

https://blog.tinect.jp/?p=74368&s=09

帰宅してからこれを読んだ。Twitterで紹介されている方がいて。文章の本筋からは外れるかもしれないけれど、次の部分が刺さった。

ところが私生活においても公の生活においても、今の世の中ではコミュニケーションから家事や自己管理まで、すべてができてやっと一人前の個人とみなされるきらいがある。

現代社会のお題目として、しばしば多様性というボキャブラリーが用いられるが、しかし実質的には、一人前の個人というハードルをクリアした人間の多様性が称揚されているにすぎない。

普通という枠からこぼれ落ちた人は多様性の仲間にも入れてもらえない。自己責任論が叫ばれ、社会にとって役に立たない人は不要であるといった風潮にも通ずる所があるなあと感じた。はじめての短歌(穂村弘)でも出ていた、少しおかしなおじさんが、許されなくなった話を思い出した。生きるためのハードルが上がっている気がする。

 

 

本を増やした話

 
日記

昨日は本·ひとしずくさんへ行った。店主さんに「若い子がクリスマスに何してるの笑」と言われながら、自分へのプレゼントを購入した。新刊で、あなたのための短歌集(木下龍也)仕事のおまもり(ミシマ社編)、古本で、深夜特急1(沢木耕太郎)日本傑作推理12選(エラリー・クイーン編)を購入した。

今日は、私設図書館もんさん、Reading Mugさんに行った。私設図書館で、夢野久作の文庫を一冊借りて、Reading Mugさんで、2冊購入した。連日本を増やしすぎである。年末の休暇で消化していかないとな、とソワソワした気持ちで過ごしている。

近況

勉強しないとな…と思いながら、ひさびさにブログを書いてみたり、You Tubeをダラダラ見たり、ゲームをしたり、様々に無駄な時間を使っている。その中でも、You Tubeを見る時間とゲームの時間だけでも削ることができれば、もっと本を読んだり映画を見たりできるのに。

最近は短い動画を見ること、すぐに成果の出るゲームをすることが、娯楽の中心になっている。脳味噌が疲れているからなのか、ストーリーの先がわからない映画やドラマ、アニメが見れなくなってきている。嫌になっちゃうわ。職場の年末休みまで、事件を起こしませんように。

 

 

 

「ことばはホウキ星」井坂洋子(ちくま文庫)

 
 
感想

詩を読む人のための入門書。『あたりまえの言い方に慣れるとそれ以外の感覚が滅ぶ』など感じさせられる言葉が多々あった。詩は自分の生きていいる場所と別の居場所を作る。今年は言葉を大切にする一年にしたいなと思う。

 

 

家族のきずなの両義性(大江健三郎)

今週のお題「おとうさん」

こんばんは。就活がしんどいナカノでございます。

大江健三郎の講演集「あいまいな日本の私」より「『家族のきずな』の両義性」の紹介をしようと思います。いろいろな公演がまとめられている本書ですが、私の勉強不足もあり、わからないものも多々ありました。その中でもある程度は理解した(つもりの)講演であるこれの要点をまとめたいと思います。

 

・家族はモデルである。そのモデルとは、ある個人が社会の中でどう生きていくというかという場合の社会的人間としての自覚を持つためのモデルのことである。あるいは、同じような意味においての国家的人間、世界的人間としての生き方のモデルともいえる。

・そのうえで、筆者の個人的な体験(障害を持つ子供がいらっしゃること)、親と子供にはいやおうなしに上位と下位の関係があることを自覚し、次のように考えた。家庭で親が子供を保護し愛するという良い関係が成立することもある。反対に親が圧制者となって子供を迫害、することもありうる。このことが家族には両義的な関係があると認められることである。

・親と子が上下の関係を結ぶとき、それを解決するには力によってでしかできなく(老いた親を子供がいたぶる等)、それは不健全であるように思える。

・その対案は親と子が対等な関係を結ぶことである。ここでいう対等な関係とは、親と子が同じベクトルを向いているということである。例えば、宗教を信じている家族なら、親子ともに神を信仰することがそれにあたる。信仰がない家庭は別のもの、例えば民主主義を立てればよい。

・その立てたものを親子ともにまなび、ともに悩み乗り越える事で対等な親子関係が結べると考えられる。

 

あいまいな日本の私 (岩波新書)

あいまいな日本の私 (岩波新書)

 

 

 

 

 

 

 

「蜩ノ記」(葉室麟)

あいさつ

しばらくぶりでございます。今夜は「蜩ノ記」(葉室麟)についての感想を書こうかと思います。

その前に近況報告から。「読書メーター」というWEBサービスを利用し始めました。これは読んだ本を登録すると、読書記録としてページ数などが記録されていくものです。また、読んだ本に対して感想が登録でき、それがほかの読書メーターのユーザーさんに表示され、交流ができるというものです。

使ってみた所感としては、非常にいいものだと感じています。本の感想は、255文字までしか投稿できないのですが、この感想対してほかの人が「いいね」などのアクションをしてくれ、それが読書に対しての励みになります。また、ほかの人の感想も読むことができるので、その本に対する理解が深まるなと感じています。

今後は、読書メーターをしっかり使いつつ、こちらのブログではしっかりと長めの感想をまとめるようにしたいと思います。

本題

さて、本題の「蜩ノ記」の感想に入りたいとおもいます。

 本書は皆さんもご存知の通り、葉室麟先生の代表作であり、直木賞受賞作

でもあります。作品のあらすじは、Google先生にお任せしたいと思います。

あらすじ

豊後、羽根(うね)藩。

城内で刃傷騒ぎを起こした檀野庄三郎(だんの しょうざぶろう)は、家老・中根兵右衛門の温情で切腹を免れたものの、僻村にいるとある男の監視を命じられる。その男とは、7年前に藩主の側室との不義密通の罪で10年後の切腹と家譜の編纂を命じられ、向山村に幽閉されている戸田秋谷(とだ しゅうこく)だった。

秋谷の切腹の期日まで寝食を共にし、家譜の編纂を手伝いながら秋谷の誠実な人柄を目の当たりにするうちに、庄三郎は秋谷に敬愛の念を抱き、次第に秋谷の無実を確信するようになる。やがて庄三郎は、秋谷が切腹を命じられる原因となった側室襲撃事件の裏に隠された、もう1人の側室の出自に関する重大な疑惑に辿り着く。(Wikipedia蜩ノ記」より)

以下、私の感想をつらつらと述べていきたいと思います。

まずは泣き所の多い作品だなということです。源吉に対する書き方があざとすぎるし、後半にかけての事件の数々が、秋谷の姿が、ひたすらに泣かせます。

もう一つが志の尊さを感じさせる作品だなという事です。人の心は、単体では非常にもろく弱いものです。それを支えるために、宗教や芸術、娯楽、地縁血縁があるんだと思います。その中で、今作は秋谷の志の尊さを書いていました。よみながらあまりに清廉潔白な秋谷を見ているとこちらが息苦しくなりもしました。筆者はそういった侍の理想像に忠実な主人公を書くことによって、現代日本人に欠けているものを主張したかったのかなと思いました。

ともするとすこし説教臭くなってしまうような話ですが、それを感じさせないところに葉室先生の馬力を感じました。先生の「秋月記」とも同じような世界観を感じました。

おもしろかったです(小並感)

蜩ノ記 (祥伝社文庫)

蜩ノ記 (祥伝社文庫)

 

 

「アーモンド入りチョコレートのワルツ」(森絵都)

3夜目は「アーモンド入りチョコレートのワルツ」(森絵都)という短編集です。

アーモンド入りチョコレートのワルツ (角川文庫)

アーモンド入りチョコレートのワルツ (角川文庫)

 

ご存知の人も多いと思いますが、作者の森絵都さんは幅広い年代に向けて名作を書かれている作家さんです。

この「アーモンド入りチョコレートのワルツ」はピアノ教室に現れた奇妙なフランス人のおじさんをめぐる表題作の他、少年たちだけで過ごす海辺の別荘での一夏を描いた「子供は眠る」、不眠症の少年と旧校舎で偶然出会った少女の淡い恋を描いた「彼女のアリア」の三篇が収められています。全編を通じてピアノ曲がキーとなっており、行間から音が漏れ出てくるような短編集となっています。

 

この本(森絵都作品全般に言えるかもしれないけれど)読んだいるときに、中学生の頃の感覚がリアルに自分の中に再現されるのがすごく心地よいと思います。中学生の時に読んでいて、わかるわーみたいに感じたことを同じように今も感じられる不思議になります。感性などは当時と全く変わってしまったはずなのに。


流れていくときに無頓着であっても、自分自身の変化によってそれを知ることができた年代、進歩している事をリアルに感じられた時代が思い出されるのが嬉しい作品だと思います。

 

次回は何にしようかと思案中です。今週はこれくらいにします。金曜日に就活の面接があるので(笑)

「きっと、うまくいく」(ラージクマール・ヒラーニ監督)

言い訳

二日目にしてもはや日付けをまたいでからの更新になってしまいました(笑)

今日はめちゃくちゃ疲れていたらしく、日中起きられずに一日中横になっていたんです。明日からは健康な時間に書こうと思います。

 

本日紹介するのはインド映画の「きっと、うまくいく」(ラージクマール・ヒラーニ監督)です。

 

きっと、うまくいく(字幕版)
 

 

普段は映画はほとんど見ないのですが、昨日は友人たちと飲みながら映画を見ようという事になり、この映画を見たところ、すごく良かったので紹介しようと思います。

あらすじ(夢は洋画をかけ廻るより)

・大学時代親友同士だったファランとラージューは、ある日同窓のチャトルから母校に呼び出されます。チャトルは二人に、ランチョ―というかつての学友の消息がつかめたことを二人に話し、探しに行こうと持ち掛けます。

・10年前、インド屈指の難関工科大学ICE(Imperial College Engineering)に、それぞれ家庭の期待を受けて進学してきたファランとラージュー、そして「きっとうまくいく」というモットーの自由奔放な天才ランチョ―の三人は寮のルームメイトになります。何をするにも一緒の三人はしばしばバカ騒ぎをやらかし、学長や秀才だったチャトル等から「三バカ」と呼ばれて目の敵にされていました。

・何とか大学を卒業したものの姿をくらましていたランチョ―を探して共に学んだ親友たちが旅に出ます・・・・

感想とか

「きっと、うまくいく」(以下「きっと」)を勧められた時3時間あると聞いて、絶対途中で眠くなると思っていました。しかし、テンポの良く話が展開して、ポイント毎にインド映画特有の歌や踊りが入って眠くなるすきを与えないものでした。

内容は激しいインドの競争社会を背景とした教育問題をユーモラスに風刺するものでした。先にも書いた通りテンポよく話が展開する中で、伏線がきちんと回収され、見終わった後は爽快な気分になりました。主人公の一人ランチョ―のモットー「きっと、うまくいく」の言葉通り、安心して見られます。

競争社会を風刺する中で、いろいろなメッセージをくどくない形で伝えてくれます。書くいう自分は主人公のなかでファランと家庭環境が似ているようなところもあり、彼の」家族との葛藤に涙しました。

就活や実家・親との関係など悩んでいる心に元気を与えてくれる、問答無用に明日に活力を与えてくれる作品だと思います。

おわりにかえて

昨日といい今日といい「めっちゃおもしろい」と思ったものを紹介するだけの文章力がないのが嫌になります*1。感想が小学生みたいな薄いものだなーと自分でも感じます(白目)。毎日続けられると、文章力も読解力も上がっていくかな…と思って頑張ります。

さて、明日は健康診断と久しぶりのゼミですが頑張っていってきます。毎日しんどいですけどね。「きっと、うまくいく」

 

*1: